根来塗とは

どのようなとき生まれ。どのような人が使い。どのように用いられたのか。
その塗物は使い続けると。
赤。そして黒。
まるでジーンズのように擦れ、磨滅により美しい・・・。

ここ紀伊国の一乗山大伝法院根来寺(現在の和歌山県岩出市根来)において鎌倉期から室町時代まで数千にも上る僧たちが日常に使う什器を主として色々な漆物が作られていました。その中でもほんの一握り、当時金と同格と言われた貴重な天然の辰砂を使った自然な刷毛目を残す鮮やかな朱色が特徴の根来寺一山の至高の漆物が作られていました。無論、貴重な辰砂を使った塗り物は限られた一部の高僧が使っていたことは言うまでもありません。今の漆物では出来ない用に耐える漆物は角が欠けにくく、沸騰したお湯も直に入れることが出来、初め真っ赤なその漆物は上の朱が減ってもその下の黒そのまた下の高度な下地が用に耐え使い続けることが出来、擦れた様も朱と黒のコントラストにより新しい美が見える堅牢な漆物で傷付いても美しい漆器がここに在りました。その迸る息吹は一山を越え、各地に出荷された中世最高の漆物です。

名前の所以。
黒い塗物もあったのか。

殷盛を誇ったその塗りは、1585年 豊臣秀吉の紀州根来攻めによる兵火に罹って灰燼に帰した、根来寺一山内において制作される高度な中世の漆下地を用い、辰砂をつかった朱色の漆物を「根来塗」(ねごろぬり)と言い、その地で作られる黒色の漆物を「黒根来」(くろねごろ)と言います。根来寺に大きな傷跡を残した紀州攻めにより根来塗が長い眠りに入り、数寄者がこよなく珍重する垂涎の塗り物、幻の技法と言われた根来塗がここにあります。

根来塗の現在は・・・。
中世の技法を現在に。

往時の根来塗を根来寺山内で、河田貞氏(根来塗権威者 元文化庁文化保護審議会専門委員)と根来寺塗師 池ノ上辰山(元曙山)が共に探求し中世の幻と言われた堅牢な技法を復興します。415年の時を越え、平成12年12月12日 覚鑁上人の命日に曙山が「許」を根来寺より頂戴し、和歌山県岩出市根来の根来寺敷地内にある岩出市民俗資料館内根来塗工房において一山内の根来塗を復興します。2007年 和歌山県の指定を受け和歌山県郷土伝統工芸品「根来寺根来塗」(ねごろじねごろぬり)として復興登録をします。 2019年 辰山が国より文化庁長官表彰を受け、国から辰山(元曙山)の作る根来塗を認めて貰います。この事により市、県、国から認められ、根来塗の至上の学者 河田 貞氏に肯定された根来寺山内の根来塗が「根来寺根来塗」として池ノ上辰山を基とし415年の長い眠りから再興し認められました。

そして、・・・。

往時の技法で作られた根来塗はその下地が堅牢で、朱が減ってもその下の黒そのまた下の高度な下地が用に耐え新たなときを「根来寺根来塗」として刻んでいきます。

毎日使える丈夫な漆器です。

朽ちていくさまが美しいジーンズのような器。
使うと変化していく漆器。
傷が、美しい。面白い。
下地が丈夫なので剥離(はくり)がほとんどなく、すれ摩耗が美しく見えます。
焼き物より強い中世の漆器です。
毎日使っても欠けにくい。割れにくい。
根来で作る根来塗。
私たちは真面目に作ります。
木固めを3回します。
ほとんどの漆物に麻布を貼っています。
丈夫な下地を作るため19工程を踏み3ヶ月以上の時を費やします。
中世の高度な技法により作られています。
全26工程を経て作られています。
普段に一生使い。

山の一部が器となる。

私たちは山にうるしを植林しています。
漆以外の塗料は一切使わず「ただ木に木汁である漆を塗る」。
私たちは根来寺山内での根来塗復興の為、ボランティア活動を中心に躍動しています。
塗師の人材育成に尽力しています。
根来寺塗師 池ノ上辰山を中心に承継しています。